【傅山(ふざん)の書の探究学習】
漢字の書の探究学習課題として書道部の高校3年生が現在取り組んでいます「傅山(ふざん)」の書について、紹介します。
1【傅山(ふざん)について】
傅山(ふざん)(1607~1684)は 中国、明末・清初の文人画家・書画家、詩人。初名は鼎臣(ていしん)。字(あざな)は青竹、のち青主と改めました。号は石道人、真山、嗇廬(しょうろ)など多く、清朝に仕えることを拒み、骨法のしっかりした山水画をよくし、書や詩文にもすぐれていました。
傅山(ふざん)は太原(たいげん)=山西省の人。学者の家に生まれ、若いころから経史諸子はもちろん道仏にまで通じ、碩学(せきがく)で知られました。
明の滅亡後は諸方に流寓(りゅうぐう)して医術を業とし、明の遺民として清朝に反抗の意を表明して、招かれても終生仕えなかったと言われています。
書は初め晋(しん)隋・唐の楷書や趙孟頫(ちょうもうふ)などを習い、のちに顔真卿(がんしんけい)を学びましたが、ついに巧媚(こうび)軽滑を排して真率を求める境地に達し、放逸な連綿草を良くして王鐸(おうたく)と並び称されています。
画(え)は、山水は磊落(らいらく)にして骨法優れ、墨竹は気韻があると評されています。
作品集に『傅山書画選集』、文集に『霜紅龕(そうこうがん)集』があります。
『『書跡名品叢刊190 傅山集』(1974・二玄社)』より
◆ 現在取り組んでいる課題(部分)および法帖
2【傅山(ふざん)の書が生まれた背景とその書風】
中国の書の長い歴史の中でエポックメイキングとも言える時代がありました。
明の終わりから清代の初めにかけて起った行草書における表現主義的な動きです。
明代に建築様式の変化があり、文人達の居室の天井が高くなり、3メートルにもなんなんとする長条幅を掛けることが可能になり、競ってこの時代には書家達がこの長条幅で新しい書の表現を試みました。
明末清初という激動の時代をくぐりぬけた書家達は心の内なる激情を筆に託して既製のしきたりを打破り、心の赴くまま狂わんばかりに筆を走らせました。
特に王鐸(おうたく)や傅山(ふざん)は独自の境地を開拓しました。
傅山は全ての書体を書きこなし、中でも行草書を得意としましたが、長い紙に率直に感情の高まりを筆に託して一気に書き下ろし、字形もやや壊れ、行も曲がり、墨の使い方も無頓着ですが、非常に生き生きとした書が多いのが特徴です。
張瑞図・倪元璐・黄道周・王鐸などの作品にも共通して見られるこのような長条幅への連綿草書は、明末清初の混乱した国家存亡の危機から生まれた感情表現のひとつと言われています。
◆ 臨書前の骨格線の学習
3【傅山(ふざん)の書の代表作】
草書五言律詩軸 傅山筆 清時代・17世紀 東京国立博物館蔵東京国立博物館蔵
傅山筆「草書五言律詩軸」は、書のなかでも、ひときわ目をひく作品です。一見して、目が回ってしまうかのような、「クネクネ」「グルグル」とした、なんとも奇怪な作品だと思われるのではないでしょうか。
上下左右に筆を振幅させながら、下へ下へと息長く書き進められた線は、あたかも変幻自在に動く縄のように、次々と多様な造形の文字を生み出していきます。
それぞれの字は整った造形ばかりではなく、左右に傾いたり、縦に伸ばされたり、あるいは、つぶれて扁平になったものまで、実に様々な表情を見せます。
太さの変化していく線が湾曲、交差して一字をつくり、そうしてつくられた大きさ・形・墨量の異なる文字がこの作品を構成することで、観る者に奥行きや立体感すら覚えさせます。
筆者の傅山(1607~84)は、明朝の滅亡後に、黄冠朱衣を身に着けて諸方に流寓し、明の遺民として清朝への抵抗の意を示した人物です。
書に対しては、すぐれた人物であれば自ずと書もまた奥深いものとなるという考えを示し、技巧がもつ作意や虚飾といったものを排して、自然にありのまま書くことを主張しました。
出典 東京国立博物館 明末清初の「連綿草」の魅力より
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